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鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

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私は「批判」には寛容ではない。

書こうと思っていたことがいくつかあったのだが酒を呑んだら今日も忘れてしまった。
で、思いついたことは、、、、

私の周りには結構精神障害を起こした人間がいる。従兄弟であったり、弟の嫁だったり、姪だったり結構いるのである。自殺した者もいれば、病院に入った者もいる。私がそもそも変態でへそ曲がりの変人なのだから、その身内に精神を患った者が多くいても何の不思議もないのだが、彼らにはある共通項がある。その程度に強弱はあるが、彼らは皆攻撃性を持っている。他人に対する攻撃はもちろん、多分自分に対しても攻撃をしているのではないかと想像できる。

彼らは皆頭がよい。つまりは勉強が良くできる人種である。頭がいい人間ほど精神を患うらしい。私は彼らほど勉強は出来なかったし、頭も良くないのでSM嗜好の変態程度で収まっているのかもしれない。良かったのか悪かったのか。

しかしその共通項である「攻撃性」はしっかり私も有しているのである。
私は他人からの「批判」に敏感に反応してしまう。いいに付け悪しきにつけ、「批判」には弱いのである。叩かれて成長する人種ではなく、褒められて木に登る人間なのである。それなのに私は幼い頃から親からは叱咤されて育った。私の父親は古い人間で、私のことを「愚息」「愚息」と言い続けたので、謙遜の美徳を知らない連中からは、私は愚かな息子として認識されてしまったのではないかと私は拗ねてしまったのだ。それ以来私は「批判」には寛容ではなくなった。

批判は悪く捉えれば「悪口」に通じる。悪口は疎外に通じる。疎外感を抱いた人間は当然ながら攻撃的になる。批判に寛容でなくなれば当然自己中心になる。自己中が膨らめばますます批判に寛容でなくなり、ますます自己中心になる。その結果他人から疎外され、社会から疎外され精神を患うことになる。私はその一歩手前にいるのかもしれない。

もしかしたら私を「常人」に踏みとどまらせているのは、SMという嗜好のおかげかもしれないと思っている。変態を自認すれば同好の士からは疎外されない。批判や攻撃を受けても変態だからと開き直れる。悪口が褒め言葉になることもある。女から「あなたのようないやらしい人は嫌いだわ」と言われても褒められたと思えるのである。悪口を言われても疎外感を抱かなくなる。疎外されていないと感じれば、ある程度順応できるというものである。
それで私は社会に紛れている。

| 鬼縄のつぶやき | 19:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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哀れなビジネスマン

今秋、友達と北海道に行った時の話である。
北海道には当然飛行機で行く。飛行機、空港と言う言葉に人間は酔うのであろうか。乗り物という定義で行けばバスや電車とさしたる変わりはない。変わりがないのに飛行機や空港というと人は変に興奮するようである。

私は旅行と言えばツァーが好きでよく利用する。個人で行くより楽で気楽だから私は好きなのである。申し込めばガイドが道案内はしてくれるし、乗り物やホテルの手配まで全部してくれる。これを個人で行くとなると、自由はあるかもしれないが、ぜーんぶ自分でしなくてはならない。こんな面倒なことはない。

さて、北海道のツァー旅行が終わって千歳空港で羽田に帰る飛行機の便の搭乗が開始されたので友達と並んでいると、後に並んだ二人のビジネスマンが馴れたぶった会話を始めた。

ビジネスマンA:「いやぁー。今日は馬鹿に込んでますなぁー。」
ビジネスマンB:「ほんとですねぇ。。平日にこんなに混むなんて。並ぶのが大変ですわ。」

俺のつぶやき:並ぶのが大変ならファーストクラスでも取れよ。

ビジネスマンA:「これみんな、ツァー客ですよ。」
ビジネスマンB:「あー。最近安い団体旅行が増えたからねぇー。それで混んでいるんだ。」
ビジネスマンA:「しょっちゅうこの便は使うんですけど、仕事で疲れている時に、ツアー客に隣で騒がれると迷惑ですよね。飛行機が珍しいんですかねぇー。。」

俺のつぶやき:安い団体旅行で悪かったな!たまーに使う客で悪かったな。というよりほとんど飛行機なんかに乗ったことはありませんよ。だから興奮してはしゃぐんですよ。

俺のつぶやき:しかし会社の金でしか飛行機に乗れないビジネスマンも確かにかわいそうだな。それこそたまには自分の金で、遊びで、飛行機に乗ったらどーだ。自慢じゃないが、俺なんか仕事で飛行機なんか乗ったことなどないわ。私の場合、飛行機に乗る時はいつも「遊び」ですよ。そもそも私はこの二人のビジネスマンのように仕事しなくても遊べる身分なのでね。申し訳ないねー。。。ふふふ。。。。

仕事でしか北海道に来れない奴らの戯言を聞いて妙に向かっ腹が立ったのだった。

この手の馴れたぶった奴らというのはどこにでもいて、ビギナーを小馬鹿にするきらいがあるが人格を自ら貶めていることに気づかない馬鹿どもである。こういう愚か者に限って、自分が経験したことのない環境になると、必要以上に萎縮するものであるのだ。

| 鬼縄のつぶやき | 19:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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私は己の心をガードしている。

昔の(今でもそうだが)本来の日記というものは他人に見せるものではなかった。他人が読むことを想定していなかった。私の父親など毎日まめに日記を付けていたが、『俺の生きている内は絶対にこの日記を見てはいけない』と子供の頃から釘を刺されていたぐらいだった。もう亡くなってだいぶ経つが私はいまだに父親の日記を読んでいない。
だからネットで公開する日記は他人の目に触れる訳であるからなかなか本音が書けなかったりするのである。でもブログも日記風なのであるから、他人に見せることを想定していない本来の日記同様、他人の目や意見などを意識せず、自分のためだけに書くと言うことがあってもいいだろうと、この頃思う。たとえ他人を傷つけてしまうことがあってもだ。

私はその昔とっても愛した女がいた。結婚したいと思った女はその女が最初で最後であった。事実結婚の約束もした。もし、その女と結婚していたなら、きっと『鬼縄』は存在しなかっただろう。そんな女と何故別れたのかといえば、他の男に乗り換えられたからである。早く言えばふられたのである。
当時二人は安アパートで半同棲をしていて、私の下着やら、学生だったので教科書やら書きかけのレポートやら、結構私の荷物がその女の部屋においてあったのだ。その部屋に男を連れ込まれたあげく、今度はその男と同棲を始めてしまったのだ。そんな状況で自分の荷物を取りに行く羽目になった時の屈辱感は今でもトラウマになっている。

今の私なら受けたショックも少なかったであろうが、その時は今よりずっと初心で一途だったのである。それ以来私は女も男と同様、同時に複数の男と関係を持つ多情な存在だと、学習させられたのだ。だから今の私は、私以外の男と関係を持ったり、たとえ結婚したとしてもそれを理由に私との関係を解消することはしない。私の存在が女にとって必要ならそれでいいのである。
しかし私は女に決して心を許さない。だから結婚もしない。いつでも女が他に男を作って、私から去っていくことになってもいいように私は己の心をガードしているのである。おかげでそれ以来、何人かの女が私から去って行った時も昔の初心だった頃のようなショックは受けずに済むようになったし、逆に女を捨てたり、他の男の女を縛っても心が痛まなくなった。私は己の心をガードしているからである。

余談だが、私の経験則で申し上げると、女が『愛』を語り始めると大概怪しい。私から去る予兆である。

| 鬼縄のつぶやき | 20:27 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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ブログで媚びを売る

ブログの記事を書こうと思っていろいろ仕事中とか食事中とか女を縛っている最中とかいろいろ考えるのだが、その時は、あっ!これいいな!と思ってこれを書こうとしてもだな、いざPCの前に座ると哀しいか、ぜ~んぶ忘れちゃっているではないか。そういうことが結構ある。
今日も、確か朝のうちに、これを書こうと思っていた文章を夜になって酒を呑んで、飯喰って、PCの前に座ったら??なんだっけ。。。となってしまいましたよ。あーあ。。

で、今思いついたことだが、「ブログで媚びを売る」という事について書きましょう。

ブログを徘徊していて思うことは、よく記事の最後にランキングボタンを押して!とか、コメント下さい!とか書いてあるのを見ると、あーあ。媚びてるなぁと思ってしまうのです。
これって、俺なんかやりたくても出来ないんですよね。一応沽券があるから。

俺だって女性のブログにそう書いてあれば、義理でもボタンをポチッと押しちゃうけど、男野郎のブログに書いてあっても無視しちゃいますもんね。女性のブログでは一応義理で押しますけど、あー。。この人媚びてるなぁーとは思っちゃって、ちょっとがっかりしちゃいますね。
書いてある記事がかっこよければ良いほど、このお願いが挿入されているとそのギャップに苦笑してしまいます。S女王様のブログにこれがあるとがっかりを通り越して泣けて来ちゃったりします。

ということで、私もランキングに参加していますので、左側のボッチを押して下さいね。。そうでないとランキングの順位が上がりませんから。よろしくお願いいたします。ペコリ(結局やってんじゃん)
私も世間に媚びて生活しています。ごめんなさい。。。

| 鬼縄のつぶやき | 20:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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とにかく書くことだ。

ブログというものはなかなか書けないものだが、「怒り」や「嫉妬」というような反動的な衝動に駆られると結構すらすらと書けてしまうのである。
私の特質かもしれないが「肯定的」文章というのは苦手なのだが、怒りや妬みや嫉妬というような反動的というか反抗的文章というのは結構好きなのである。人がいいというと良くないと言いたくなるし、人が良くないというと、いいと言いたくなる性分なのである。一時コピーライターを目指したことがあるが、この性分が災いして断念させられた。コピーライターではなく、中傷専門のウラ政治記者を目指した方が良かったかもしれない。

で、文章というものはとにかくマス目を埋めろと教わったことがある。駄文であろうと、なんであろうと、最初は文章の完成度なんか気にしないでとにかくマス目を埋めろ。ボツになろうが、ぼろくそに言われようがとにかくマス目を埋めて提出しろと言われた。そう言うことを繰り返しているうちに1つぐらいはものになる文章が書けるものであるとね。そして1つものになる文章が書けると、不思議と2つ目が書けるものだと。

むかーし教わったこの教訓を思い出し、とにかく書いていればきっとアクセスも上がり、1つぐらいはいい文章が出来上がるかもしれない。

| 鬼縄のつぶやき | 21:10 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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変な男の嫉妬

ブログの記事を書くことがなかなか難しい。そもそもブログは日記だからその日の出来事や、おいしかった(まずかった)食事のこと、目にした風景を写真に撮ったりして書けばいいと言われるが、私にはそれが出来ない。なぜならそう言う日常的なことを書くと「鬼縄」から離れてしまうし、そういう日常的なところから素性がばれるのではないかという怖れを抱いているからでもある。私は結構、いや相当用心深いのである。それにそもそも46歳の男の日常なんぞおもしろくもなんともない。私の食べた料理などどーでもいいと思われるのが関の山であろうと思われるからである。私も他の男の日常なんぞに全く興味がないですからね。

しかしこれが女性のブログ、しかも関心のある女性のブログとなると話は違ってくる。
その女性の日常や食べたもの、出遭った風景の感想などはまさに興味の的となるのである。だから私も同じように私の日常を書けばいいかというと、多分私の日常には誰も関心は抱かないと思うので、やはりそういうことは書けないのである。

そして興味を持った女性のブログを読んでいて彼女の恋人とか夫の「男の話」が出てくると、なぜかその女性への興味をなくしたりしてしまう。私はその女性とは全く縁もゆかりもないのに、ただブログを読んでいるだけなのに嫉妬したりするのである。変な話であり、私は変な男なのであろうと自分でも思う。思うが、そうなのである。

| 鬼縄のつぶやき | 17:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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自転車問題

自転車は道交法上紛れもなく車両である。しかし自転車から降りて、自転車を牽いている場合は車両ではなく歩行者とされる。これはバイクなどもエンジンを切って、バイクから降りて牽いている場合も同様である。

さて、自転車が横断歩道などで渡ろうとして待っている場合、自転車から降りて待っている場合と、自転車にまたがったまま待っている場合では、その対応に差を付けるべきであろうか。
つまり歩行者なら横断に優先権があるので、自動車はそれを妨げてはならず横断歩道の前で停止しなければならないが、車両なら横断歩道を渡る優先権は自転車側にないことになり、自転車が優先道路側を走行していない限り、自転車の横断を優先させるために自動車は停止しなくても良いと言うことになる。

バイクならエンジンを切るという明確な差があるが、自転車はどの時点から車両になり、どの時点から歩行者に戻るのであろうか。
こういうことを悩むのは私だけであろうかね。。
結構私は自動車を運転しながら、自転車が待っている横断歩道の手前で悩んだりしてしまうのである。

あぶねーな!!

| 鬼縄のつぶやき | 10:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ミシュランガイド


仏ミシュランが発行する、世界的に影響力のあるレストラン格付け本の関西版
『ミシュランガイド京都・大阪2010』がいよいよ16日に発売!

発売前日のきょう15日には、同社キャラクターのミシュランマンが関西空港で
ガイドブックのPRを行うなど、東京版の初版発売時(2007年)に勝るとも劣ら
ない盛り上がりを見せています。

いっぽう、京都・大阪の老舗や、地域住民からは“上から目線”の格付けに反
発の声も。ミシュランガイド総責任者ジャン氏の「格付けが嫌なら転業したら」
という発言に不快感を示す店主や、関西名物のお好み焼きやたこ焼きが星を逃
したことに「なんでやねん」と憤ってしまう粉モノファンも多いようです。



ミシュランガイドを読んで日本の料亭やレストランに行く日本人は売国奴と言えよう。。なんで日本の食文化をフランス野蛮国のタイヤ会社が発行する陳腐なガイドブックに評価されねばならんのだ?それをまたありがたって掲載を許す料亭やレストランにも問題はあるが、それを読んでのこのこ店に行く日本人もみっともない。そもそも味の評価はは他人に任せるのではなく、己で判断するものである。あなたが食べる料理はあなたの胃袋に入るのですよ。他人の評価に任せてどうするのと言いたいですね。まぁ百歩譲ってガイドブックに頼らなければならない味音痴は、それでも日本のガイドブックを利用するべきでしょうな。

たまたまミシュランガイドに掲載されているレストランで食事をしていたら、ミシュランガイドを読んでこの店に来ましたと言う客が隣のテーブルに座ったが、私は味音痴なので何を出されても結構です。と、言っているようなものだということがこの客には分からないのだろうね。
ミシュランガイドに掲載されたから来た言うのではなく、私の味覚に合うかどうかを確かめに来たと言うべきでしょうね。三つ星か星無しかは自分が決めることです。ミシュランガイドの調査員がいいと言っても、私がいいとは限らない。私がいいと言ってもあなたがいいと思うかは分からない。でしょう?
因みにこのレストランは、私にはまずくはないがと言う程度です。その割に値段が高かった。味は主観ですが料金は客観です。費用対効果も勘案すべきでしょうな。

ミシュランガイドブックが味の権威とは思わないのですよ。

| 鬼縄のつぶやき | 20:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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日本文化と新暦のずれ

昨日は「中秋の名月」でした。でも天文学的には、本当の満月は今日のようです。昨日見忘れた方は今日でも間に合いますよ。歳事と実際はだいたいずれが生じるものです。
ずれが生じると言えば、「中秋の名月」はその年によって9月だったり、10月だったりします。月の満ち欠けですから年によって違うのは当然かもしれませんが、もともと旧暦では「中秋の名月」は、8月15日と決まっていたのです。
日本の文化は、現代の暦以前の「旧暦」の下で形成されてきた部分がまだ圧倒的に多い。それを新暦(現歴)にて行うのであるから、これもまたずれがどうしても生じてしまいます。我々日本人は、太陽より月の方が身近に感じていたのでしょう。だから太陽暦である新暦と日本古来の文化との間にはどうしてもずれが生じてしまうのです。

私は歳事などの文化の強い行事は「旧暦」で行うのがいいと思っています。そうしないと過去の文化的遺産の意味が伝わらなくなってしまうと考えるからです。
例えば「正月」をなんで新春というか。とか昨日の満月をなんで「中秋の名月」と言うかなどです。

一年には「春夏秋冬」の四季があります。旧暦では三ヶ月毎に季節が変わり、

 「一・二・三月」は春、「四・五・六月」は夏、
 「七・八・九月」は秋、「十・十一・十二月」は冬

と分けられます。そしてそれぞれの季節に属する月には
 初・中・晩 あるいは、孟・仲・季 
の文字をつけて季節をさらに細分するのに使いました。たとえば旧暦四月は「初夏」あるいは「孟夏」となります(孟・仲・季の文字は中国では兄弟の年の順を表す場合に用いられ、孟は年長者、仲は真ん中、季は末っ子を表します)。
ですから、この季節の細分によれば、「八月」は秋の真ん中で「中秋」あるいは「仲秋」となります。

ただし、立春・立夏・立秋・立冬の様に直接季節と結びついているものは、旧暦より新暦の方がずれは少ないようです。

なお、来年の旧暦正月元旦は、新暦では2010年02月14日です。こちらのほうが「新春」にふさわしいように私は思いますけどね。

| 鬼縄のつぶやき | 10:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『女』を求めるからSMをするのだ。

団鬼六のSMは、『女』を手に入れたいから悪事を行う。
それに比べてヨーロッパ的SMは、『権威』や『権力』があるから『女』を手に入れる。ヨーロッパ的SMの前には女は主軸ではなく、権力を引き立たせる道具の一つでしかない。主従のSMとは権力への憧憬を示し、鬼六のSMとは女への憧憬を示すのでは無かろうか、、。鬼六の小説では間違いなく女が手に入れる価値のある最上位に位置しているのである。

私のSMも求める価値の最上位はもちろん「女」そのものである。『女』を手に入れたいからSMをするのだ。そして最高の女を手に入れた。主従という関係性を求めるために「奴隷」を求めたのではない。
結果として「関係」は構築されるのであって、手段や目的ではないと思っている。「関係」を手段や目的とすると「女」は道具化する怖れがある。
私の性的嗜好である「SM」を受け入れてくれた結果として、「」と「信頼」が得られたのだ。

| 鬼縄のつぶやき | 22:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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