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鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

2009年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年12月

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縛りが似合う旅館

湊のやど
最近、焼津に全室露天付旅館が出来たというのでさっそく使ってみた。和風旅館というのは「縛り」に似合う。露天風呂というのも縛った女を晒すにはいい風情である。
女の写真も公開できればいいのだが、それが出来ないのが残念である。新しい女が出来ればまた連れて行きたい場所である。
ふふふふふ。。。。。

湊のやど2

湊のやど3
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| 鬼縄のつぶやき | 21:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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一途な「唯一」にはならない理由

SM世界には、ご主人様唯一というM女性がいる。
私は女の(私もそうなので)「唯一」を信じていないので、これはと思うM女にはお誘いの声を掛けてみるのである。すると不思議なことに「唯一」を理由に体よく断られてしまうのである。
ある意味、納得できると同時に不思議な思いにとらわれるのである。

私は今までの女に「唯一」と言われたことがない。言われたことがないどころではなく、前にも書いたが私が最初に愛した女は、私と同棲していた部屋に男を連れてきたぐらいだ。
それ以来私が付き合う女は何故か、結構他の男とも付き合うのである。私は女の一途を信じていないので、それを認めているので、私の女には結構多情な女が多いのである。
別にお互いが一途になる必要もないので、私を必要と思ってくれている間は、私の女として付き合うのだが、他の女(男もそうであるが)もそうだろうと声を掛けると一途な「唯一」を理由に断れれる事があるのである。

もちろん私の女は既婚者であったり、恋人がいたりする場合が多いので一途な「唯一」ではないのだけど、それを理由に断られたりすると、このギャップは何なんだろうと思うことがある。
まぁ、私を気に入らないので一途な「唯一」を理由に断れば、私のメンツも傷つかないだろうという思いやりの面もあるかもしれないが、私の経験とのギャップに不思議な気がするのも事実である。

でも結構一途な「唯一」カップルも別れたりしているので、本質は同じなのかもしれない。多情でも私の下にいる女の方が一途なのかもしれませんね。

私と別れる女はもしかしたら多情ではないので別れるのかもしれませんね。ただ私を選ばずに他の男を選んだだけのことなのかもしれません。
不思議なことに私が一途になると、とたんに他に男を作って私から去っていくのです。だから結果的に唯一となっても私は女に一途になることをしないのです。

| 鬼縄のつぶやき | 20:58 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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鬼縄のいつものSMストーリー 4

葉子。。細い筆ではさすがに感じなかったね。
よく耐えた。褒めてあげよう。
パンティは濡れていない。安心しなさい。

ふふふ。。。

さて、次は竹の耳掻き棒だよ。
お前が最も嫌う責め具だ。。
お前はこの竹の耳掻き棒を体に這わせられると、きまって感じてしまい、恥ずかしくも秘部を濡らしてしまうね。
女の欲望に火を付けられるのが恥ずかしくて口惜しいだろう。そして、決して口には出せないが、火が付いた体はその欲望を求めてしまうのだ。
求めてしまう自分の体が、お前の理性を責めるのだ。
己が己を責めてしまうのだよ。これほど口惜しくて恥ずかしいことはないだろうな。

ふふふふ。。。。。。

わかってるね。秘部を濡らせば新たな罰が待っていることを忘れてはならぬぞ。
では、はじめよう。。

耳の後。。
首筋。。
脇の下。。
脇腹。。
乳首。。
足の裏。
ふくらはぎ。。
内股。。

どの部分も感じてはならぬぞ。

ふふふふ。。。。

| 鬼縄のSM | 14:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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SMは神への反逆

人類の男女は大昔から好いたり好かれたり、性交したり、一緒に暮らしたり、子供を作ったり、結婚したりしてきた。もちろん、嫌いあい、憎みあい、殺しあい、捨てたり捨てられたり離婚したりもしてきた。
そういう男女を結びつける動機というか根拠として恋愛や性欲というものが発明されたのは、西欧の近代においてであると考えられている。西欧で発明されて日本に輸入された訳で、そもそも日本語の「恋愛」や「性欲」は西欧語の訳語として明治時代に作られた言葉だそうである。

では、恋愛や性欲が発明される前の西欧ではどうなっていたかというと、ごく大まかに言えば、近代以前は、男女の関係は神によって結びつけられ、支えられていたのではないかと考えられる。
もちろん、これはタテマエというか原則であって、神が介在しない男女の関係は現実にはいくらでもあっただろうが、そういうのは異端とか不信仰とか不道徳とか、神の戒律に悖ることとして咎められ排除され消されたと考えられている。

ルージュモン(『愛について』鈴木健郎・川村克己訳)によれば、13世紀にローマ・カトリック教会に異端として弾圧され、滅ぼされたキリスト教の一派である、女神を崇めるカタリ派の伝統が、貴婦人への禁じられた思慕を歌った南仏のトルバドゥール(吟遊詩人)に受け継がれ、それが近代の恋愛の先駆けになったとされている。両者は、女神または貴婦人の崇拝や禁欲主義などの点では共通性はあるものの、別個に起こった現象であると考える説もあるが、いずれにしろ、恋愛の起源がキリスト教の異端にあったということは充分考えられる。キリスト教がどういう宗教であるかを見れば、恋愛のような現象が許される余地があるはずがないからである。

そういえばマルキ・ド・サドのSMは女を汚したりはするが、その根底はアンチ・カトリシズムであり、女神または貴婦人を崇めるカタリ派の伝統にも逆説的に通じるところがあるかもしれない。神の意志ではなく己の欲望や気持ちで異性を求めるSMは、まさに神からの解放であり、反逆である。

| 性的SM論 | 13:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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鬼縄のいつものSMストーリー 3

「葉子。私の責めによって、もしお前が感じてしまったのなら、罰を受けなければならないよ。」

その罰とは、お前の舌先で私の身体をくまなく舐め奉仕することさ。
もちろん手は使えないよ。後手に拘束するからね。。
舌先だけで私が満足するまで奉仕を続けることが、お前の罰となる。
私はなかなか満足しないから、お前の舌先は痺れてしまうだろうね。それでもこの罰は決して許されないよ。私が満足するまではね。。

この罰が嫌なら、私の責めに決して感じてはならない。
ふふふふ。。。

さて、ベッドに大の字に拘束して次の責めに移ろうか。

鳥の羽根ではさすがに感じなかったね。
よく耐えた。褒めてあげよう。
パンティは濡れていない。安心しなさい。

次は細い筆だよ。

耳の後。。
首筋。。
脇の下。。
脇腹。。
乳首。。
足の裏。
ふくらはぎ。。
内股。。

大丈夫、パンティはまだとらないよ。

細い筆のおぞましい感触にお前は理性を保てるかな。。。

ふふふふ。。。。

| 鬼縄のSM | 20:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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鬼縄のいつものSMストーリー 2

葉子はパンティ1枚の恥ずかしい姿で例のポーズをとっている。

手を頭の後ろで組んで、肘を水平にあげなさい、脇の下が見えるようにね。
足は肩幅ほどに開きなさい。胸はちゃんとそらしなさい。
そして顎を上げなさい。顔の表情がよく見えるようにね。



ホテルの部屋の灯りは煌々と光っているし、部屋のカーテンは全開されている。
向かいのビルの誰かがこの部屋の様子に気づけば、もしかしたら覗けるかもしれない。そして淫靡な情景を私と共に共有することが出来るかもしれない。
葉子はそれを恐れている。しかし、私はそれを喜んでいる。

「葉子。私の責めによって、もしお前が感じてしまったのなら、罰を受けなければならないよ。」
「・・・・・・」
「お前は感じないと言ったし、感じたくはないはずだからね。」
「・・・・・・」
「お前の理性が確かなものであれば、言葉通り、お前は耐えることが出来る。」
「・・・・・・」
「もし、お前が感じて濡らしてしまったりして醜態をさらせば、お前の言葉は偽善に過ぎなくなるのだ。」
「・・・・・・」
「お前がふしだらな女でなく、お前の言葉通りの理性的な女なら耐えることだ。」


まず、お前に鳥の羽根のおぞましい感触を与えよう。。
決して感じてはならぬぞ。。

ふふふふ。。。。

耳の後。。
首筋。。
脇の下。。
脇腹。。
乳首。。
足の裏。
ふくらはぎ。。
内股。。

どの部分も感じてはならぬぞ。

ふふふふ。。。。

| 鬼縄のSM | 20:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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女は愛と性が一致しているのか

女が男を尊敬する男と軽蔑する男との二種類に分け、愛と性をこの二種類の男のそれぞれに振り分けるということをしないのは、振り分ける必要がないからであるが、しかしまた、振り分けることが出来ないからでもある。

第一に、そうできるためには、ある種の男を軽蔑し低く見ていなければならないが、男と違って、女は一般に、性対象を軽蔑することになれていない。
社会的偏見のために、男女関係は上下関係と見られがちで、女が性対象の男を低く見れば、自分を更にそれより低い位置に置くことになる危険がある。

第二に、男を性欲の対象としてのみ扱うことが出来るためには、性欲を自分の能動的欲望として肯定し、自我に組み入れていなければならないが、一般に社会通念として、女の性欲は男の性欲ほどには容認されていないので、それが難しい。
男だって、女を単なる性欲の対象としてのみ扱うのには、内的禁止というか、ある程度の後ろめたさとためらいがあるが、女が男を単なる性欲の対象としてのみ扱うのには、はるかに強い内的禁止があるようである。
その上、女には、性交の際に自分の性欲をあからさまに強く打ち出しすぎると、相手の男が不能に陥るのではないかという、男にはない不安がある。

その他、最後に付け加えれば、女は例え性満足だけのために性交したとしても、見栄のためか、羞恥心のためか、相手の男を愛しているから性交したのだと人にも思わせたいし、自分でも思いたいということがあるようで、実際以上に女においては愛と性が一致しているように見えるということもあるかもしれない。

| 性的SM論 | 18:07 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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お礼

私は褒められるて伸びるタイプなので、コメントなど頂けると大変嬉しいです。
「ブログ拍手」の非公開コメントもありがたく拝読させていただいておりますが、非公開コメントには返信が出来ませんので、この場を借りてお礼申し上げます。

なぜ私にはSM嗜好が宿ったのかという永遠のテーマから発しているブログですが、なかなかその糸口さえ見つからず彷徨い続けています。しかしその答えを探していると言うよりは、私のSM観の世界をふらふらと彷徨っていること自体が、私にとって心地よく、目的となっているのかもしれません。

私の心理学の師匠であった大学の女教授は、「心理学」というものは答えを見つける学問ではなく、現在起きている現象を捉えるだけのものであると教えてくれました。真理は「医学」だったり「物理」だったり他の学問に求めなさいと言うことであった。

心理は心象であるから答えなどなく、求めても意味のないことかもしれません。私はSM世界を求めて彷徨っているということさえ把握していればそれで事足りるのかもしれません。
己の中にSM嗜好があるのかないのかも分からず彷徨っている人もいるのですからね。

SもMも表裏一体。男も女も表裏一体。光と闇も表裏一体。本質も偽善も表裏一体。虚実と真実も表裏一体。どちらか片方がなくなれば、一方の片方も存在できない。誠にやっかいなものです。

| 運営日記(新着情報) | 10:02 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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鬼縄のいつものSMストーリー 1

葉子。。さぁ。今宵も始めようではないか。いやらしくて、淫靡なSMを。。。

「はい。。。。。」

では、まず服を脱ぎなさい。もちろん私の目の前でだよ。
部屋の電気は暗くしないし、部屋のカーテンは開けたままだ。
お前はカーテンを開けたままの窓に向かって服を一枚一枚脱いでいくのだよ。ゆっくりとね。恥ずかしいかい?ふふふ。。。

パンティ1枚になったところで、例のポーズをとりなさい。
手を頭の後ろで組んで、肘を水平にあげなさい、脇の下が見えるようにね。
足は肩幅ほどに開きなさい。胸はちゃんとそらしなさい。
そして顎を上げなさい。顔の表情がよく見えるようにね。
結構恥ずかしいポーズだろ?ふふふ。。。

私はそのポーズをブランディを口に含み味わい、葉巻をくゆらせながら、恥ずかしいポーズをとる葉子の肢体を鑑賞する。
その均整の取れた、スレンダーな肢体は羞恥のために赤く火照り、かすかにふるえている。

「シャワーを使わせて下さい。」と、葉子は言う。

ふふふ。。。
お前の羞恥をシャワーで洗い流そうというのかね。
お前は今宵もその羞恥を私に鑑賞させる義務があるのだよ。

それはお前が私の女だからだ。

私が、シャワーなどお前に使わせたりはしないことを、お前が一番よく知っているはずではないか。

「あああ.......」

まさかもう、恥ずかしいところを濡らしているのではないだろうね。
だからシャワーを使いたいのかね?

まだ始まったばかりだよ。
お前が恥ずかしさに苦悶するのはこれからだよ。

でも、もう少し、縄を使わずにおこう。。
その恥ずかしいポーズをまだ崩してはならぬぞ。
高層階のホテルの部屋でも、もしかしたら誰かがのぞき見をしているかもしれない。
お前のその美しい肢体を、眺めている男達がいるかもしれぬぞ。

ふふふふ。。。。。

言っておくが、私の許しを待たずに感じたり濡らしたりしてはならぬぞ。
お前はそんなふしだらでいやらしい女ではないはずだ。
そうだな。。

「は、はい。」

お前は私の責めなんぞに負けて屈服するような女ではないはずだったな。
お前自らが言った言葉だ。
忘れてなどいないだろうな?

ふふふ。。。。
今宵も決して感じたり濡らしたりして、女の悦びを味わってはならぬぞ。。

| 鬼縄のSM | 20:32 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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聖女と娼婦は同じ女の二つの面である。

女は男と比べて愛と性が一致しているようであるが、それについては、以下のような理由も考えられる。
男が抱く女性像は、特に西欧近代の性文化において、聖女と娼婦という両極端に分裂していることがよくあり、前者に近づけない男がもっぱら後者を性対象にしようとする。
日本の性文化においては西欧近代の性文化ほど両極端に分裂しているとは思えないが、それでも明治維新後、西欧文化を必要以上に取り入れたために似たような現象は日本においても見受けられる。

さて、女の男性像はそれほど分裂していないので、女は男との関係で男ほどは愛と性を使い分ける必要がないと言われている。
女の男性像が男の女性像ほど分裂していない原因は、女の子が異性である父親を知る時期と、男の子が異性である母親を知る時期との違いにあると考えられている。

男の子は生まれるとすぐ母親と接する。
初めは、自我はなく、母親と自分の区別がつかないが、その区別がいくらかできるようになっても、まだ現実感覚の発達は不十分で、母親について現実離れした誇大なイメージを持つ。これを全知全能の母親という。
男の子にとって、この全知全能の母親は無力な自分を全面的に保護してくれると同時に支配し圧迫する存在でもある。男は、後の性関係において、このような全知全能の母親から離脱しなければならない。その為に、自分が軽蔑し支配することが出来る女を見つけるか、作り出す必要がある。
女の子にとってももちろん母親は全知全能の母親である。しかし女の子は母親とは同性であり、後の性関係において母親から特に離脱する必要がない。それでも男の子と同様に女の子も母親に対するコンプレックスはあるように思う。

それに比べ、女の子が異性である父親を知るのは男根期であり、この時期には自我も芽生え、現実感覚はかなり発達しており、女の子は、男の子が母親を理想化するほどには父親を理想化しないし、父親についてはそれほど現実離れしたイメージを持たない。
女の子が父親を知った時の自分と親との隔たりは、男の子が母親を知った時の自分と親との隔たりほど大きくないので、女の子は、男の子が母親に圧迫されているほどには父親に圧迫されておらず、後の性関係において、女は、男ほど怯えておらず、傷つきやすくなく、そして、母親の圧迫からの解放というか、圧迫の打倒というか、そういうことを求める必要を男ほどは感じなくて済む。したがって、相手の男に対して攻撃的になる必要がないと思われるのである。
但し、男ほどではないが、女の子も全知全能の母親からはやはり圧迫を受けていることは間違いないし、その圧迫から離脱しなければならないことは間違いないのであるが、母親とは同性であるが為に、性と直接結びつかないところが男の子とは違うのである。

女は愛と性を切り離して、性を攻撃の手段とし、一方を理想的な男に、他方を軽く見ていい男にという風に振り分ける必要がない。男女関係において、男が、一方では女を必死に貶めようとしながら、他方では過度に理想化し、崇め、憧れるのに反し、女はそのいずれにおいても極端に走らないのである。
男が女に抱く正反対の二つの傾向は、同じコインの表裏である。聖女と娼婦は同じ女の二つの面であると言える。

| 性的SM論 | 20:30 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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