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鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

2013年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年07月

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奇譚クラブ vol.4 【和の緊縛編】

SMビデオの名門、奇譚クラブから、和服のM女を徹底的に調教して弄ぶベスト版が登場。この緊縛は伝説になる…赤襦袢のオンナが和室に横たわる、そこに垂らされる熱い蝋燭。悲鳴が上がり、それはやがて悦びの声にかわっていく。肉感豊かな4名の美女を豪華収録した特製映像作品です。

| 動画 | 15:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ペニス掛けアナルファッカー (オリジナル)

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| グッズ | 17:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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性欲の発明

卑しい肉体のいやらしい肉欲は個人のもつ性欲として捉え直された。それまでの肉欲は、悪魔に吹き込まれたり、女に誘惑されたりして生ずるものであったが、それとは起源や条件を異にする性欲が発明されたのである。

肉欲は肉体の欲望であって、たとえば、うまいものをたらふく喰いたい欲望も含まれているが、性欲は異性の性器をめざし、性交を求める特定の生物学的欲望を指している。
そのような性欲が発明されたということは、近代における神の死と個人の成立の結果の一つであった。

人間の行動が神の創造した世界の秩序のなかの一要素(たとえば、占星術は、星の運行と人間の運命とはともに神が司っているのだから、星占いをすれば人間のことがわかるというこの種の見方にもとづいている)ではなく、個人が選択し決断したものとなっだため、個人がなぜそうしたかを個人の内面から説明しなければならなくなり、そこで、性欲というものが発明されたと考えられる。

性欲が発明されると、それまで世界における二人の何らかのかかわりの形であった性交が個人の性欲の満足、個人の快楽のためのものとなった。しかしやはり、キリスト教の霊肉二元論はそのまま、性欲にもとづく近代の男女関係に引き継がれた。
すなわち、罪深くいやらしいと見なされた点においては、性欲も、それまでの肉欲と同じであった。また、性欲が恋愛とは関係のない、いやむしろ恋愛と対立するものとされた点は、肉欲が神の愛と対立するものとされていたのと同じであった。。

| 性的SM論 | 20:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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神が死んで恋愛が登場した

人間は本能が壊れているから、男と女は本能で結びつくことはできないが、何らかの形で結びつくことは必要である。
西欧においては、神が本能の代替物として男と女を結びつけていたが、その神が衰えると、さらにその代替物が必要になった。そこで、恋愛が登場し、性欲が発明され力のである。

なぜ神が衰え、そして死んでしまったかについては歴史家たちがいろいろ言っているから、そちらに尋ねてもらうことにして、とにかく、それが近代という時代であった。
参考:宗教改革・ルネサンス・近代科学による、キリスト教の衰退化

恋愛の原形はキリスト教における全知全能の神への愛と崇拝であって、対象が神から人間に代わっただけであるから、その感情内容はほとんど変わらない。ニーチェ(『善悪の彼岸』)は「怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい」と言ったが、皮肉なことに、キリスト教への反逆として始まった恋愛も、現実の世界で実現不可能な愛の実現をめざす点において、キリスト教と同じ迷妄に陥り、同じような怪物になってしまった。

すなわち、近代の恋愛において多、男の場合で言えば、相手の女をかけがえのない唯一無二の存在として理想化し聖化し、純粋な思慕を捧げ、そして、いわゆるプラトニックラヴというか、彼女を性対象にするのはこの聖なる存在を穢すことになるとして否定するのである。
そういうのが真の恋愛であるとされ、彼女との性交を望むのは不純なのであると言われたのである。
今でもこのような考え方は歴然としてある。

| 性的SM論 | 20:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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緊縛フルコース34 上原綾

キュートなルックスとナチュラル美乳を兼ね備えた奇跡の美女モデル、上原綾がDF初登場でいきなり緊縛フルコースの餌食となる!!!本格的な緊縛は初めてという綾ちゃんが、高手小手縛り、胡坐縛りそして逆海老縛りと、緊縛地獄にどっぷりと嵌り込んでイクッ!!!

| 動画 | 16:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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SMは神からの解放

愛は神への愛が基本であるから、愛そのものは価値あるものであり、ただ、神に無断でほかへ向けられた愛がよくないだけであるが、愛と違って、セックスは男女を結びつける以外には使いようのないものであり、かつ、卑しむべき肉体のいやらしい肉欲の表れであるから、セックスは、キリスト教にとって、恋愛よりはるかに危険で恐るべき商売敵であった。

したがって、キリスト教は、できることなら、セックスをなくしてしまいたかったのである。
しかし、それでは人類が滅亡するし、どうしても自制できない者もいるだろうから、そういうわけにもゆかず、結婚して子供をつくるのに必要な場合のみ、しぶしぶ容認したのである。

したがって、快楽のためなど、子供をつくるのに必要でないいっさいの性行動は禁止された。
避妊や中絶が禁止されたのは快楽のための性交を認めることになるからであり、同性愛が罪であったのは子供をつくるために役立だないからであった。もちろん、マスターベションも罪であった。子供をつくるための性交においても、前戯に時間をかけるとか、いろいろな体位を試してみるとか、余計なことはしてはならなかった。

キリスト教は商売敵をこれほどまでに恐れていた。「宗教」(religion)という言葉は語源的には「結ぶ」という意味だそうであるが、キリスト教は男と女を結ぶことを神の専売特許にしようとしたのである。

神の意志ではなく己の欲望や気持ちで異性を求めるSMは、まさに神からの解放であり、反逆でありその為に同性愛と共に永く異端とされてきた。
マルキ・ド・サドの作品は、リベラル思想に裏打ちされた背徳的な思弁小説であり、エロティシズム、徹底した無神論、キリスト教の権威を超越した思想を描いた小説でもあったために、彼は刑務所と精神病院に入れられたのである。
もしかしたら、橋下府知事も同じ運命を辿るかもしれない。本質を語る人間はいつの世も糾弾されるのだ。

| 性的SM論 | 17:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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熟女お口奴隷

どんなきっかけでマゾになるのか。遅咲きのマゾ熟女はひたすら口奉仕で感じる。支配され拘束され羞恥され…。深い恍惚世界のなかをただよう…。ぐちゃぐちゃに喘ぎ錯乱する熟女の、哀しいくらい激しい性癖。

| 動画 | 16:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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