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彩に屈辱を与える

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人に屈辱感を与えるにはどうしたらよいか。
Mは被虐感を好むが果たして屈辱感をも好むだろうか。

人は耐えると言うことに美意識を持つ。苦痛に耐えるということは被虐であって屈辱ではない。苦痛に耐え切れずに己の信念を棄てるところに屈辱があるのではないか。Mは苦痛に耐えるが、苦痛そのものを求めているというより、それに耐えようとする状況を求めているのではないだろうか。

信念などと大げさなことを言わずとも、Mは調教を満足に受けられないことを詫び、Sの好む行為を受け入れようと努力する。調教に耐えようとし、それが出来ない時には己を責める。つまりSの望む行為に耐えられることを喜びとしているのであり、例え途中で耐え切れなくとも、それは途中経過であって挫折ではない。
目標に至る経過なのだから屈辱感は味あわない。それをSからなじられようが、罵られようが、自分自身で己を責めようが、かえってそれに耐える己に陶酔するのではないだろうか。
耐えると言う行為は屈辱感を伴わないのである。



これはSである彩にも言える事だ。彩はMではないけれど苦痛や困難に立ち向かうという状況には屈辱観を抱かない。Mと同様それは己の中では美しいのである。
だから彩に苦痛を与えても屈辱感を味あわせる責めとはならないのである。苦痛はかえって彩の闘志を奮い立たせてしまうだけなのである。


彩は、私には感謝はしているが、もはや私を必要としていないと言う。すでに彩はその見返りとして、一度だけとはいえSとしての信念を曲げて私のいやらしい責めを受けたのだ。彩にとっては、相当な屈辱だったに違いない。いや、その時は家族の借金のためにという美しい自己犠牲の御旗が、私の淫靡な責めを受けることを屈辱から救ったのかもしれない。。

私の困った嗜好は美しい女、強い女に屈辱を味あわせることなのだ。Mを育て上げるなどと高尚なS嗜好ではないのである。
ましてや彩は毅然として、私の申し入れを拒絶したのである。苦痛を与えて、それに耐える美しい光景を作り出してはならぬのである。

彩はそれを身をもって承知している。前の時はかろうじて屈辱感から逃れられはしたが、そのおぞましい光景は記憶の片隅に、その美しいからだに刻まれているに違いない。
今、忘れかけていたその情景を写真によって再び目の前に出されたのだ。

耐える姿ではなく、腰を振って自ら求めている姿の写真を・・・・・。。。。。
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