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鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

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男の性欲2

フェチシズムは個人としての女を求めるのではなく、髪とか脚とかの女の体の特定の一部、あるいは靴とか手袋とか下着とか女が身につける品物が性欲の対象となることをいう。それ以外にも女が身に着ける物とは限らず、女の排泄物やそもそも性欲とどう繋がりるのであろうかと考えてしまうものまであることは、変態仲間の諸君らなら認識されていることであろう。
フェチシズムの定義をしようというのではなく、私が言いたいのは個人としての女の人格を求めない、つまり男にとって女は部分対象でしかないというのが男の性欲の本質で、その意味では男はみんなフェチシストだと言うことなのである。

ここで誤解をして欲しくないのは、個人としての男がそうといっているのではない点だ。個人としての男ははもちろん個人としての女に愛情を持つということは当然あるであろう。ただ男は、女に対する愛情と性欲とはしばしば無関係である。女に対してまず愛情を持ち、それが性欲に繋がるとか、その逆に性欲から愛情を感じるようになるとか、結果として性欲と愛情に関連性を持つ場合もあるが、それは必然ではなくたまたまであり、全く両者が切り離されたままの場合もあるのである。フロイトが言うように、性欲が昇華して愛情になる必然はないのである。
愛情があるから性欲も必然に持つとか、性欲は愛情の表現などと言う偽善に惑わされてはならぬ。SMは究極の愛情表現のひとつでないことも然りである。

もちろん愛情を感じていない女にしか性欲を感じない男もいるだろうし、逆に憎悪し又は軽蔑している女を犯すということで性欲を満たす男もいるということだ。
余談ではあるが、愛情と性欲が切り離されていない文化、両者の対立を克服している文化、西欧文化のように、尊敬と愛情の対象である聖女と、性欲の対象である売女とにはっきり二分化している文化がある。

ここで間違って頂きたくないのは、愛する精神行為と性欲の肉体行為とを男は分離させているという事を言っているのではなく、愛する行為も性欲もどちらも精神行為なのであって、ふたつの精神態度が関連性を持たずに葛藤を繰り返しているということなのだ。
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