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鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

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南無阿弥陀仏。

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三遊亭円朝の名作 「怪談 牡丹燈籠」 に出てくる 「お露」 の幽霊
恋しい新三郎の元へ死んでもなお通い続けるお露 しかし新三郎は
家の周りに お札を貼って お露が中に入ってこれなくしてしまいます
お露は伴蔵と言う人物に百両という お金と引き換えに お札を
剥がしてもらい家の中へ・・・。 翌朝 新三郎は骸骨にまとわり憑かれ
死体となって発見される・・・。


さてこの怪談と私の妄想する被虐と相通ずるところがある。新三郎がお露にとり殺されるところではもちろんない。死んでも男を慕う女の美しき情欲が、縛られ、苛まれ、体や心を責められてもなお男の元に通うM女妄想とがリンクするのである。もちろん現実にはなかなかお目にかかれない情景であろう。だからこそ妄想なのだ。
私の妄想は具現不可能だとよく言われる。団鬼六の描く被虐の女の情景など実際にはあり得ない。それを追い求めることなど馬鹿げたことかもしれぬが、それは怪談に真理を求めるロマンと同じことかもしれないのだとも思ったりする。

私のSMは体も責めるが心も責める。と、お相手には最初にご案内する。もちろん性的な情欲な嗜好的な欲求もあるが、相手の心を責めて暗闇の世界に堕とすことも考えている。出来ればその女の一生を棒に振らせたい。この私の魂胆に気付いた女は私から離れていく。当然だろう。私の為に人生を棒に振る酔狂な女はいない。もちろん妄想で具現は出来ないがそういう気持ちは常にある。だから離れていくのだろう。
離れられれば私は逆恨みをする。この逆恨みは次の女にと向けられるのである。そしてまた女は離れる。そして私は女を恨み次の獲物へと向かう。この馬鹿げた情念の繰り返しで、恨みはいつしか女全体への恨みと変質していく。だから女を責めるという輪廻となる。

恨みながら、死んでもなお男の元に通う幽霊などは私の理想とする女なのかもしれない。私はすでに取り憑かれているのかもしれない。南無阿弥陀仏。

ふふふふ。。。。。。
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