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聖女と娼婦は同じ女の二つの面である。

女は男と比べて愛と性が一致しているようであるが、それについては、以下のような理由も考えられる。
男が抱く女性像は、特に西欧近代の性文化において、聖女と娼婦という両極端に分裂していることがよくあり、前者に近づけない男がもっぱら後者を性対象にしようとする。
日本の性文化においては西欧近代の性文化ほど両極端に分裂しているとは思えないが、それでも明治維新後、西欧文化を必要以上に取り入れたために似たような現象は日本においても見受けられる。

さて、女の男性像はそれほど分裂していないので、女は男との関係で男ほどは愛と性を使い分ける必要がないと言われている。
女の男性像が男の女性像ほど分裂していない原因は、女の子が異性である父親を知る時期と、男の子が異性である母親を知る時期との違いにあると考えられている。

男の子は生まれるとすぐ母親と接する。
初めは、自我はなく、母親と自分の区別がつかないが、その区別がいくらかできるようになっても、まだ現実感覚の発達は不十分で、母親について現実離れした誇大なイメージを持つ。これを全知全能の母親という。
男の子にとって、この全知全能の母親は無力な自分を全面的に保護してくれると同時に支配し圧迫する存在でもある。男は、後の性関係において、このような全知全能の母親から離脱しなければならない。その為に、自分が軽蔑し支配することが出来る女を見つけるか、作り出す必要がある。
女の子にとってももちろん母親は全知全能の母親である。しかし女の子は母親とは同性であり、後の性関係において母親から特に離脱する必要がない。それでも男の子と同様に女の子も母親に対するコンプレックスはあるように思う。

それに比べ、女の子が異性である父親を知るのは男根期であり、この時期には自我も芽生え、現実感覚はかなり発達しており、女の子は、男の子が母親を理想化するほどには父親を理想化しないし、父親についてはそれほど現実離れしたイメージを持たない。
女の子が父親を知った時の自分と親との隔たりは、男の子が母親を知った時の自分と親との隔たりほど大きくないので、女の子は、男の子が母親に圧迫されているほどには父親に圧迫されておらず、後の性関係において、女は、男ほど怯えておらず、傷つきやすくなく、そして、母親の圧迫からの解放というか、圧迫の打倒というか、そういうことを求める必要を男ほどは感じなくて済む。したがって、相手の男に対して攻撃的になる必要がないと思われるのである。
但し、男ほどではないが、女の子も全知全能の母親からはやはり圧迫を受けていることは間違いないし、その圧迫から離脱しなければならないことは間違いないのであるが、母親とは同性であるが為に、性と直接結びつかないところが男の子とは違うのである。

女は愛と性を切り離して、性を攻撃の手段とし、一方を理想的な男に、他方を軽く見ていい男にという風に振り分ける必要がない。男女関係において、男が、一方では女を必死に貶めようとしながら、他方では過度に理想化し、崇め、憧れるのに反し、女はそのいずれにおいても極端に走らないのである。
男が女に抱く正反対の二つの傾向は、同じコインの表裏である。聖女と娼婦は同じ女の二つの面であると言える。
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